努力しろとかやたら言ってくる奴が周りにいたらぜひ読んでほしい

皆様の周りにもいらっしゃいませんか

努力しろだの頑張れだのやたらに繰り返して言う人

 

そう努力主義って奴だ

でも安心して欲しい大丈夫です

努力しろとか言ってくる9割の人は対した思考もせずに適当な事を言っています

 

先に言っとくと努力を全否定するわけじゃありません

努力した結果としての成功体験は確かに貴重なもんです

しかし目的に沿わぬ努力なんていらぬ苦労でしかありません

 

努力とはただの手段です

 

目的は何か、そしてそれに沿った手段とは何か

という事をしっかり考えて欲しい

あくまで努力は色んな選択肢の中の1手段にしか過ぎないのだ

 

まず努力というのは競争相手がいるとこでしか必要とされないはずなんです

つまりはそんな場所で勝負している時点で努力をしなければって事だけしか当然考えられない

 

努力なんて嫌いだね、と思う人は競争相手のいない未開拓のフィールドに行って欲しい

そこで努力なんてワードは一切出てこないはずだ

なぜなら比較対象が自分しかいないからだ

結果を見てみてもそれが成功なのか失敗なのかすら自分に決定権がある

 

努力をしなければいけないという環境に追いやられているとしたらその状況を

まずは疑った方がいいと考えますね

 

 

ありがとうございました、コメントお待ちしております

ユーチューバーに見るウェブ時代の自由な働き方とは何か

世はウェブ時代、スマホタブレットの普及により

世界中で人々の距離がさらに近くなった今

仕事の仕方は多様化していっているとはよく言われる事だ

 

個人の時代だ、などと皆さんも一度は聞いたことあるだろう

企業とは切り離された個人のチャンネルがかなりの高額なお金を得ている

 

例えばユーチューバーは概念が確立して以降よくテレビと比較されている

テレビはコンプライアンスの問題を抱えており、テレビでは出来ない表現が

ネット上のチャンネルでは可能だ、と思っていた矢先どんどんユーチューブがテレビ化していく未来が見えたのは僕だけじゃないはずだ

 

少人数で回っていた世界観のユーチューブに人が大量に流れ込むとテレビと同じスポンサーの問題を抱えるのは誰でも分かる

結局成熟したプラットフォームはこうなる運命なのだろう

 

まだ儲かるかもしれないが今からユーチューブをやるのはかなりのサバイバルだろう

当然コンテンツによってはブルーオーシャンも残されてはいるだろうが

 

成熟すればするほど、人が入ってくればくるだけ競争は激化していき

 

トップのユーチューバーと仲良くなるのが人気ユーチューバーになるメインルートになってるのはすでに起こっていることだ

つまり企業で例えれば上司やトップの人にいかに気に入られるかで出世が決まるいわば日本的な悪癖に収束していく

 

これらを踏まえて一つ言える事はウェブだろうが全員が注目している市場に自由なんてないだろう

あるのは権力者と権力者に対するイエスマンだけが得をする構造があっという間に形成されるだけだ

 

それとは別にかなりの小規模で成り立っている場所もきっと残されている

その中にこそ真の自由な働き方、に近しいものがあるんじゃないかと考える

 

あくまでお金やバリューよりも自由を優先するなら人をとにかく入れないこと、成熟させないこと、に尽きると考えています

 

 

ありがとうございましたコメントお待ちしております。

 

 

なぜニートは嫌われてしまうのか

なぜニートは嫌われてしまうのだろうか

 

 

よく来るお決まりの批判の一覧を乗せよう

みんな労働をしているからやるべきだ

国民の義務だ

税金をみんな払っているから払え

人に迷惑をかけるな

働かなければこの国は滅びる

将来どうする

 

 

大体こんなとこじゃなかろうか、しかしよくよくこういった批判には何の論理性もない

働かなければいけない説明とはほど遠いのである

 

義務なのであれば逮捕されてしかるべきだし、じゃあ税金をいくらまで払えば許されるのかという部分もよく分からない納税額はかなりヒエラルキーがあるからだ

将来どうするなんて言われても全ての自体にリスクヘッジするなんて不可能だ

みんなやってるからやれというのはあまりにもロジカルじゃない

 

むしろそれは社会的に弱い立場の人間同士で足を引っ張りあってるにすぎない

じゃあなぜこういう事が起こるか

 

 

どういうことかというとこれらの批判全てはいわば中流層やそれ以下の人達からしか出てこない意見である

 

というのもいわゆる貴族階級に当たる金持ちの資本家は確かに富は生み出してるが実体的な労働をしているわけではなく富さえ持っていれば富は際限なく入ってきてしまうが今の資本主義社会だ、そうお金持ち、彼らはニートみたいなもんなのだ

 

富を得ているんだからニートではないというツッコミは横に置いておくが

少なくとも労働をしなくてもお金を得れてしまうのは事実だ

 

しかしそうじゃない人達つまり労働によってお金を得ている人達はその中の価値判断で人間をジャッジして自分の優位性を示す他ない

 

その上で攻撃対象になるのが自分より納税額や所得が低い人達、あるいは社会的な施しを受けている人達、なのである

 

しかしこういうやりとりをして一番得するのは誰でもないお金持ちの資本家たちだ

なぜなら労働者の中でのヒエラルキーを形成した段階で自分達にはヘイトは向かないからである

 

 

結論としてはどう頑張ってもニート批判というのは

「奴隷の鎖自慢」

にしかならないので虚しいと考えます。

 

ありがとうございましたコメントお待ちしております